Re: ふらんす物語
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: ふらんす物語
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Tue, 20 Nov 2001 11:15:01 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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Wataru Mizutani at mizutani@jrcat.or.jp wrote on 2001.11.18 10:19 AM:
>
>> 荷風は『フランス物語』を読んで感傷的すぎて「ひとり旅」を除けば
>> うんざりだったのすが、
『すらんす物語』の話が出たので、ひとつだけ。
ひとつだけといいましたが、もうひとつふたつ。
田辺聖子は荷風が大嫌いで、荷風の文章の中での女性蔑視(?)の言葉には「驚倒」
すると書いているのですが、彼女はそれでも『ふらんす物語』のなかの「祭りの夜が
たり」は楽しかったといっています。南仏のアビニオンで旅行者が女にスッテンテン
にされるお話ですが「恐ろしいのは南国の女だ」と荷風はすっかり恐れ入っています。
この辺が彼女のフェミニストとしての復讐心を満足させたようです。
「ひとり旅」は少々理屈っぽいところもありますが良いですね。最後に伯爵が「宮坂
のような変わった男、思想の病人が出てきたのは、すなわち日本の社会が進歩した複
雑になった証拠ぢゃないか。私は喜ばしいことだと思ふ」といってお終いになります
が、現在の日本はどうなんでしょうね。まだまだ「変人」の数が少ないようにも見え
ますが・・・。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: ふらんす物語
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: ふらんす物語
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Thu, 22 Nov 2001 07:37:13 +0900
記事ID(Message-ID)
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ようこそ!naoyukiさん!
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Wataru Mizutani at mizutani@jrcat.or.jp wrote on 2001.11.21 12:28 PM:
>
> 「ローン河のほとり」では、フランスに着いてたった二週間なのに、
> すでにアメリカに残してきた女性を思い、帰ろうかなどと書いているし、
> 「再会」は、わざわざ書くこともないつまらないグチだし、
> 「巴里のわかれ」「黄昏の地中海」では今度はパリを離れたくないと
> わがままを言いだし(そんなに好きならパリで暮らせばよいのに)、
Mizutani さん、こんにちは。ご指摘もっともだと思いますよ。若い時代の荷風はとっ
ても「うじうじ」と悩むのです。踏ん切りがつかないんですね。でも結局はあこがれ
ていたものを捨てる形で「本分」(?)に戻るのが荷風の「基本形」ですね。その意
味で根はとても真面目な人間だった。留学から帰ってから『深川の唄』という短編を
書きますが、これも荷風のなかの「山
の手と下町」意識の対立が重要なテーマになっています。山の手から電車に乗って下
町の深川を訪れた荷風は、もう帰りたくないと強く感じるのですが、最後は「ワグナー
の像の待つ大久保の書斎に」帰らねばならないとの義務に目覚めます。
川本三郎は「谷崎潤一郎は町人、荷風は侍」と喝破しましたが(三島由紀夫も同じ様
なことを言ったかな)若い時の荷風は侍のステータスを捨てたいと本気で悩んだのだ
と思います。
> 「新嘉坡の数時間」ではエリート意識丸出しの日本人の悪口になるという
> 具合で、私の荷風の印象はかなり悪かったのです。
シンガポールで威張り散らしている日本人の教育者とそのみすぼらしい奥さんを荷風
が罵倒するくだりですね。奥さんに対しては、あそこまで云わなくても良いと思うの
ですが、威張り散らしている教育者に対しては妥当な批判だと感じましたよ。
明治時代に欧米に留学した日本人の「西欧コンプレックスとそれに対する反発」は
人によって表現のされ方が異なるようで、興味深いことだと思っています。
漱石の場合はコンプレックスはまず自分に向けられました(街を歩いていて変な黄色
い小人がやってくると思ったら鏡に映った自分であったとか書いてます。ノイローゼ
になるのもむべなるかなです)、鴎外の場合は逆に西洋人に対してコンプレックスが
反発しました(鼻くそをほじくるのは日本人だけだといわれて、必死になって文献を
探しドイツ人も鼻くそをほじくるという事例を発見して得意になるとか)。荷風の場
合は、あまりにも西欧文化への適応が順調にいきすぎたためか、自分以外の他の日本
人に対して攻撃的になったように思います。
荷風はまた江戸っ子の特性として喧嘩と啖呵が大好きでした。荷風は「大川の風に背
中の彫り物を吹かせて啖呵を切る快感は、相手を恐れ入らすと言うよりも、自分がそ
れですきっとすること、それから聞いている見物人に満足感を与えることにある」と
の趣旨のことをどっかで書いていましたが、悪口をいう荷風を読むことは見物人とし
ての愚生の快感でもあるのです。(変な趣味ですね)
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 連想が連想を呼び(ふらんす物語 )
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 連想が連想を呼び(ふらんす物語 )
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) 24 Nov 2001 14:06:06 +0900
記事ID(Message-ID) <1006578249$15792$naoyuki@queen.heart.ne.jp>
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---- Original Message ----
From: hoshina
Date: Fri, 23 Nov 2001 11:04:50 +0900
Message-ID: <3BFDAEC2.96E2F699@seagreen.ocn.ne.jp>
> > 野上弥生子さんはどんなこと言ってますか? 面白そう。
> 上海の公園の芝生を前に、次のように書いています。
> (岩波、「欧米の旅(上)」39頁から引用)
>
> 「すぐ前の美しい芝生には、神社の設立予定地として大きな木標が立っていまし
> た。
> こうした場所に一番に神社を祀って、我も人も崇めぬかずかせることに
> なによりの悦びを見出す日本人独特の感情と仕方が、
> 今更に思い浮かべられました。」
>
> ちなみに、旅をしたのは昭和13年、出版は昭和17年のようです。
うーん、この芝生の場所とは上海だとのことですが、そこに神道の神社を建てるのです
か。野上弥生子は大変尊敬申し上げているのですが、当時は時代が時代だけに、ご苦労
なさったようですね。やっぱり時代に迎合しているって感じだなあ(ごめん)。
荷風は当時の文化人に強要された戦争協力にはいっさい応じませんでした。
逆に、昭和16年2月4日には『日乗』にこういうことを書いています。
「立春 晴れてよき日なり。薄暮浅草に行き・・・楽屋に至るに朝鮮の踊り子一座あり
て日本の流行歌を歌う。・・・朝鮮語を用いまた民謡を歌うことは厳禁せられていると
答え・・・余はいいがたい悲痛の感にうたれざるを得ざりき。・・・余は日本人の海外
発展に対して歓喜の情を催すこと能わず。むしろ嫌悪と恐怖とを感じてやまざるなり」
これは『ふらんす物語』の「シンガポールの数時間」にある外地の日本人に対する嫌悪
感の表明から一貫しているものです。こういう荷風の一貫性を愚生は好きなのです。
> また、シンガポールの場面では、
> 船に乗り合わせた宝塚の女生徒さんたちのことに言及しています。
>
> 女生徒さんたちは、
> 本場のヨーロッパでピアノや声楽を披露することを聞き、
> ひな壇をたて、そこにずらりと並んで、何故三味線で勝負しないのか?
> の旨を記述しています。
野上女史はさすがに漱石に私淑しただけあって、漱石流の「自己本位」がしっかりして
いますね。漱石はロンドンでの日記に同じ趣旨のことを書いていたように記憶します。
---
余丁町散人
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Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sat, 24 Nov 2001 19:37:38 +0900
ようこそ!naoyukiさん!
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Tsutomu Hoshino at thoshino@mail1.accsnet.ne.jp wrote on 2001.11.24 6:30 PM:
> 荷風は好きです。雑司が谷のお墓にもときどきお参りします。
こんにちは、余丁町の隠居です。同好の士が現れたようで「欣喜措く能わず」です。
雑司ヶ谷のお墓には愚生もときどきお参りします。淨閑寺の荷風碑なんかよりずっと
趣味のよいお墓で、永井家の気風のすがすがしさを感じます。
> さて、いくつか質問があります。
>
> 1. 荷風に文化勲章を与えたキングメーカーは誰だったのでしょうか?
> 日本人? 外国人? 作家? 学者? 政治家? GHQ?
緊張する質問だなあ。久保田万太郎が(我こそは「門人ナンバーワン」であることを
示して佐藤春夫を出し抜くために)いろいろ画策したと聞いていますが、その裏に誰
かいたのでしょうか? サイデンスティッカーなぞは相当深く荷風の研究をしていた
から(ドナルド・キーンも荷風が好きだったし)GHQという線もありますね。お教
えください。
> >荷風は当時の文化人に強要された戦争協力にはいっさい応じませんでした。
> >こういう荷風の一貫性を愚生は好きなのです。
>
> 私も同感ですが、私の国語の先生も、親も、永井荷風と聞くと、
> 顔をしかめていました(今も同じ)。
愚生も、もし愚息が荷風を読んでいるとなると、ちょっと心配するかも知れない。荷
風がポルノ作家だからではなく(もっとすごいのがいくらもある)、また怠け者だか
らでもなく(結構勤勉な人だった)、 彼の冷めすぎた世界観に、なにか「危ない」
ものを感じるんですよね。だから息子にはあまり薦めたくない。でもその辺が何とも
言えない荷風の魅力なのです。
> 2.荷風が文化勲章をもらったときの、日本人の反応は?
当時は荷風といえば「浅草の変なお爺さん」というイメージだったから、みんな驚い
たのではないでしょうか。浅草の人はとても喜んだらしく、勲章をもらって最初のお
祝いは浅草の踊り子たちが開いたと言います。
また荷風は絶対勲章なんかもらわない(拒否する)と見ていた人も多かったようです
が、本人は素直に嬉々として勲章をもらったようですね。記者が「なぜ今までもらわ
なかったんですか?」ときいたら「だって今まで誰も呉れると言わなかったんですも
の」と荷風が答えたといわれています。名誉を名誉として素直に喜んだようです(年
金がつくので荷風は勲章をもらったとの見方もありますが、悪口ですね)
> 3.荷風の人生の跡を訊ねる、お勧めの散歩コースは?
> 夕飯にうまいものを食うとすると、最後はアリゾナになりますか?
小石川(金富町)、牛込(余丁町、四谷)あたりが荷風のベースになっていると思い
ます。そのベースに隅田川近辺の下町が重要な意味を持ちます。さらに「放水路」に
書かれた荒川の堤防も荷風にとってとても大きな意味を持っているように思えます。
最後は江戸の雰囲気を残す市川近郊(「葛飾土産」の世界)も荷風は大好きだったよ
うです。荷風が歩いたところを全部歩いてみたいと思っていますが、多すぎてなかな
か実現しないです。
荷風は食べ物はあまり気にしなかったようです。やはり「儒者くずれ」としてのスト
イシズムでしょうか。栄養さえあればよいと考えていた節がありますね。アリゾナは
リオープンしましたが、「最後にしめる」ということになるとやはり八幡駅前の大黒
屋のカツ丼でしょうか(笑)。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 連想が連想を呼び(ふらんす物語)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 連想が連想を呼び(ふらんす物語)
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sat, 24 Nov 2001 21:51:19 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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余丁町散人 at naoyuki@heart.ne.jp wrote on 2001.11.24 2:06 PM:
>>> 野上弥生子さんはどんなこと言ってますか? 面白そう。
>> 上海の公園の芝生を前に、次のように書いています。
>> (岩波、「欧米の旅(上)」39頁から引用)
>>
>> 「すぐ前の美しい芝生には、神社の設立予定地として大きな木標が立っていまし
>> た。
>> こうした場所に一番に神社を祀って、我も人も崇めぬかずかせることに
>> なによりの悦びを見出す日本人独特の感情と仕方が、
>> 今更に思い浮かべられました。」
>>
>> ちなみに、旅をしたのは昭和13年、出版は昭和17年のようです。
>
> うーん、この芝生の場所とは上海だとのことですが、そこに神道の神社を建てるのです
> か。野上弥生子は大変尊敬申し上げているのですが、当時は時代が時代だけに、ご苦労
> なさったようですね。やっぱり時代に迎合しているって感じだなあ(ごめん)。
ごめん、queen でメッセージを見てじっくり読まないでレスしましたが、きっちりと
野上弥生子の文章を理解しなかったみたい。彼女は荷風と同様に当時の日本の海外進
出に批判的だったのですね。直接的にそれを言えないから、ずいぶんと婉曲的な表現
になっているけど、彼女は明らかに日本の大東亜共栄圏主義から距離を置いています
ね。「時代に迎合云々」は取り消し。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com------------------------------------------------------------------------
江国香織/バルテュス
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) 江国香織/バルテュス
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sun, 25 Nov 2001 11:44:45 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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今朝の新日曜美術館でバルテュスを見ました。この番組は散人の好きな番組です。今
週のバルテュスも素晴らしかった。再放送らしかったけどよかったね。
でもバルテュスをインタビューをした江国香織という女性作家は、はっきり言って最
低。どうしてこんな馬鹿女をインタビューアーとして起用したのだろうね。自己中心
的な甘ったれた態度は最近の日本の若い女性に共通のものだと思うが、あれはひどかっ
た。英語が下手なのはしかたがないのだけど、だったら最初からきちんと通訳を立てて日
本語でインタビューすべきだったし、カメラの無遠慮な照明に腹を立てたバルテュス
にたいして「ダカラヘヤニハオオキナマドガアルノネ」はないだろう。気の利いたジ
ョークで雰囲気を和ませることもできないらしい。バルテュスはあれですっかり横を
向いてしまって彼女に向かっては話さなくなった。もっと聞きたかったのに。
あれにかぎらず最近のテレビの欧米取材で出てくる女性には頭をかしげるのが多いね。
昨日だったか、荒俣宏と一緒にベルギーの王室植物園を見学した日本人女性は、白痴
レベルのフランス語を見せびらかして、本当に白けたね。
歳をとって枯れてくると女性に媚びる必要がなくなるためか、ちゃらちゃらした女の
あらが目立って仕方がないのです。悪口ご寛恕請う。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Tue, 27 Nov 2001 10:14:23 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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hoshina at hoshina@seagreen.ocn.ne.jp wrote on 2001.11.26 10:43 AM:
> 川本三郎の「荷風と東京」(都市出版)にここらへんの内容が、
> うまくまとまっているように記憶しています。
> 600頁ある大冊ですが、楽しく読めました。
愚生も読みました。大変感銘を受けました。良書ですね。今までの荷風論を総括し、
その上で「人間としての荷風」像に真正面からせまる力作だと思います。荷風の老人
ポーズ、荷風と崖との関係、荷風と庭、荷風と食べ物なんか、とても楽しかった。
川本三郎の本は、映画の本も含めて大好きでたいてい持っていますが、あの人は『荷
風と東京』を書いた人として長く記憶されるのではなないでしょうか。ぜひ続きを書
いて欲しいです。
彼の荷風についての講演を聴いたことがあります(江戸歴史博物館の荷風展のとき)。
あれも名講演だったな。優れた話し手でもありますね。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 荷風の散歩道(連想が連想を呼び)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 荷風の散歩道(連想が連想を呼び)
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Tue, 27 Nov 2001 11:27:12 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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Tsutomu Hoshino at thoshino@mail1.accsnet.ne.jp wrote on 2001.11.26 11:12
AM:
>>> 1. 荷風に文化勲章を与えたキングメーカーは誰だったのでしょうか?
>>> 日本人? 外国人? 作家? 学者? 政治家? GHQ?
>>
>> 緊張する質問だなあ。久保田万太郎が(我こそは「門人ナンバーワン」であることを
>> 示して佐藤春夫を出し抜くために)いろいろ画策したと聞いていますが、その裏に誰
>> かいたのでしょうか? サイデンスティッカーなぞは相当深く荷風の研究をしていた
>> から(ドナルド・キーンも荷風が好きだったし)GHQという線もありますね。お教
>> えください。
>
> 私は終戦2年後という時代を考えると、GHQ関係かなと想像しています。
> 国会図書館にも、大学図書館にも、荷風関係の本はどっさりあるので、
> 噂程度で終わるかも知れませんが、なんとか調べられそうですね。
> いつか暇を見つけてやってみます。
是非やってくださいよ。面白いそう。もちろん荷風が文化勲章をもらったときには、
すでにGHQは存在しないわけですが、一定の影響力があったのかも知れない。サイ
デンスティカーは、日本文学を読みたいという学生にはまず最初に荷風を読むように
薦めたと言いますね。また太平洋戦争中、日本の軍部は前線兵士への慰問袋に荷風の
小説を入れたので(当時の軍部は荷風といえばポルノ、兵隊にはポルノが一番という
程度の認識で荷風の反戦思想なぞには気が付かなかった。所詮その程度の人たちだっ
た)、ドナルド・キーンも(日本兵捕虜の尋問調書作成の際に)当然それを読んでい
たと思います。
当時のアメリカのインテリ日本専門家の影響力は結構大きく、神保町が空襲を受けな
かったのも「神保町の古本屋街は世界の宝だ」とするジャポノロジストの進言による
ものだったということです。
> #終戦という社会の激変のときに、人々の意識の変化に興味があります。
> いま、本になってしまっているものだけでは、抜け落ちてしまうものがあり
> ますね。映像はもっと雄弁ですが、それでも理解されないものがある(以下)。
荷風の戦争直後の作品でその辺の人間の心理に迫るのがありますね(「買い出し」
「老人」など)。ああいう大激動期には、男は女より繊細でフラジャイルであるよう
で、女性の方がたくましく生き続けるようです。鈍感なんでしょうね。井上やすしの
『東京セブンローズ』(あれは大傑作)でも同じ印象を受けました。
> ##連想が連想をよぶのでお許しを。
> 20世紀末の特集番組でなんども放映された、マッカーサが厚木に降りて、
> 横浜へ車で移動するときに、進駐軍の車上からとったフィルムがあります。
> 驚くのは、日本軍が終戦後たった1ヶ月なのに、鉄砲を持って、進駐軍の
> 通過する道路の側面を警備していた(後方ならぬ、側面支援を1ヶ月まえ
> まで戦っていた敵のために!)。日本軍は日本国民の方向に銃をもって
> 向っています(テロを怖れた)。
> さらに印象的なのは、道路から茂みを隔てて数10メートルのところを
> 白いパラソル(人は映っていない)が静かに動いているシーンです。
> アメリカ軍のカメラは執拗にこのパラソルを追いかけています。
> 日本軍が出動し、当時鬼と思われていたアメリカ軍が通過するという、
> ピリピリした空気の中で、このシーンは極めて異常です。
> このパラソルのもつメッセージは明らかで、「日本国民は平和を喜んでいる」
> というデモンストレーション以外には考えられない。このパラソルの人は
> 誰だろう?この人はその後どうなったのか?進駐軍はこれをどう受け
> 取ったのか?
見たことはないですが、文章から判断される映像としてすごく印象的なシーンですね。
「ナチュラル」という野球の映画がありましたが、ロバート・レッドフォード演ずる
天才野球選手が最後のバッターボックスに入った際、観衆の中から白い服を着た昔の
恋人がすっくりと立ち上がるという、あのものすごく印象的な映像を想像してしまい
ました。
> 私は、親から「進駐軍が来るから家から出ては行けません」と言われて
> いた頃を思い出して、びっくりするようなシンでした。これを知り合い
> の若い人たちに話すと、「それの何が面白いのですか?」という反応ば
> かりで、がっかりしました。同年の友人だったNHKプロデューサー(徹底
> 的に掘り下げる古いタイプ)だけが、それは面白いから取材しようといって
> くれましたが、20世紀最後の月に亡くなりました。
昭和は遠い。
愚生も小さいときに進駐軍に聞かれるからといって家の中でも「軍国主義的」なレコー
ドをかけることは許されませんでした。野坂昭如の「火垂の墓」で兄妹が防空壕の中
で暮らす場面がありますが、愚生の育ったところはあのあたりで、身につまされまし
た。でも昭和の遠くなりましたね。荷風じゃないですが「われは昭和の児ならずや」
と唄いたくなります。古き価値観はすでに崩壊し、にもかかわらず、新しき価値観は
見えてこない。そういう状況だから荷風が身近に感じられるのだと思います。
>
>>> 3.荷風の人生の跡を訊ねる、お勧めの散歩コースは?
>
>> 小石川(金富町)、牛込(余丁町、四谷)あたりが荷風のベースになっていると思い
>> ます。そのベースに隅田川近辺の下町が重要な意味を持ちます。さらに「放水路」に
>> 書かれた荒川の堤防も荷風にとってとても大きな意味を持っているように思えます。
>> 最後は江戸の雰囲気を残す市川近郊(「葛飾土産」の世界)も荷風は大好きだったよ
>> うです。荷風が歩いたところを全部歩いてみたいと思っていますが、多すぎてなかな
>> か実現しないです。
>
> 関西生まれの私には土地勘のない場所ばかりですが、散歩するには
> ちょっと広すぎますね。私が考えた(企画倒れの)コースは、
> 雑司ヶ谷のお墓-->麻布の偏奇館跡-->浅草(アリゾナ、飯田屋など)
> というコースですが、これでも東京を半分横断しますので足が疲れます。
> いまや荷風も、東京散歩の道連れになってしまった。
> 荷風の日記に出てくる食べどころなど、サーチエンジンで、検索すれば
> HPがたくさんありますね。
愚生も関西生まれ。また荷風ファンの松本哉も神戸生まれ。荷風はなにも東京生まれ
の人たちの独占物ではなく普遍性があるとおもいます。でも東京が重要な舞台である
ことは事実で、愚生は「東京観光」の手引き書として荷風を利用しております。
偏奇館跡ですが、二三年前までは偏奇館跡にビラ・ヴィクトリアというマンションが
建っていたのですが、今や六本木の大再開発で全く何もなくなってしまったようです
(前行ったときは一面工事現場になっていました)。以前は荷風の面影を一番残して
いる場所だったのですが残念です。
一日の散歩の順番としては、偏奇館跡から荷風がやっていたように車で雑司ヶ谷墓地
に行って、それから都電の荒川線で三ノ輪まで行き、淨閑寺の荷風碑を訪問し、日本
堤を今戸まで歩いて「すみだ川」の舞台である今戸橋跡。待乳山を経由して浅草とい
うルートもありますね。日を分けて別の日に断腸亭跡、小石川の生家跡などもいいで
すよ。市川の終焉の家にはまだ養子さんがお住まいの筈ですが、数年前に行ったとき
はあたりの雰囲気は昔のままのようでした。
ところで荷風が最後に食事をした浅草のお店は昭和34年3月1日のアリゾナとされ
ていましたが、最近異論が出ていることをご存じですか? 新藤兼人の飯田屋本店説
です。不思議なことに『日乗』には飯田屋の名前が出てこないのですが、荷風はあそ
こで「かしわ南蛮」をよく食べ「なくなる数週間前」にあそこのトイレで尻餅をつい
たそうです。両方とも行かれたらどうですか。両店ともに荷風の写真が飾ってありま
す。どっちが最後だったのか、今となっては永遠の謎です。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 江国香織/バルテュス
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 江国香織/バルテュス
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Tue, 27 Nov 2001 11:38:15 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2001.11.27 1:24 AM:
> 私も同じ番組を観ました。
> 全く同感です。
>
> 彼女は欧州高級ブランド製品を自慢げに身に纏い
> 「やっぱり本物ね」などとのたまう”シロガネーゼ”
> &”セレブ”といった雰囲気でした。
>
> 「あなたたち、本当にバルテュスに関心あったの?」
> と突っ込みたくなるような番組でした。
ご覧になりましたか。江國香織には、同じ親の七光りの吉本ばななも基本的にそうで
すが、「女は何をやっても許して貰える。そんな女のわがままを許してくれる男が良
いな」というのがベースにある様な気がします(吉本ばななの場合はそれでも奇抜な
発想力があり一応すごいのですが)。
番組でバルテ?スは「俺は芸術家なぞではなくまず職人である。技術がなければ表現
できない」といいましたが、きっちりしたベースがいい加減なまま、いたずらに「感
性、感性」と芸術家ぶるなと言ったのではないかと思いました。
江國香織はこのバルテュスとの会見を自分の美術評論風のエッセイに書いていますが
(これ立ち読み)、独りよがりの印象だけを書き連ねてあり、彼女は何もバルテュス
から学ぶことはなかったようです。
最近、歳とともにミソジニストの傾向が強まってきた、
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Tue, 27 Nov 2001 17:25:15 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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hoshina at hoshina@seagreen.ocn.ne.jp wrote on 2001.11.27 3:33 PM:
> 余丁町散人 wrote:
>> 荷風は当時の文化人に強要された戦争協力にはいっさい応じませんでした。逆に、昭
>> 和16年2月4日には『日乗』にこういうことを書いています。
>>
>> 「立春 晴れてよき日なり。薄暮浅草に行き・・・楽屋に至るに朝鮮の踊り子一座あ
>> りて日本の流行歌を歌う。・・・朝鮮語を用いまた民謡を歌うことは厳禁せられてい
>> ると答え・・・余はいいがたい悲痛の感にうたれざるを得ざりき。・・・余は日本人
>> の海外発展に対して歓喜の情を催すこと能わず。むしろ嫌悪と恐怖とを感じてやまざ
>> るなり」
>>
>> これは『ふらんす物語』の「シンガポールの数時間」にある外地の日本人に対する嫌
>> 悪感の表明から一貫しているものです。こういう荷風の一貫性を愚生は好きなのです
>
> この荷風の一貫性に関して、石川淳は「夷齋饒舌」の「敗荷落日」で、疑問をていして
> いますね。少なくとも、戦後の荷風に関しては。
>
> 川本三郎の「荷風と東京」に、この記述の一部が引用されています。ただし、その引用
> は荷風批判に直接は該当しない部分です。
>
> 石川淳の著作は、諧謔や韜晦にあふれていますから、注意して読む必要があるでしょう
> けど。自身が評価していた作家だけに、返す刀が一段と厳しくなったようです。もしく
> は、自分自身に鞭を当てているようにも。
石川淳の「敗荷落日」はとても残酷な文章です。石川淳は戦前の荷風を神様のように
崇拝していただけに戦後の荷風の「堕落ぶり」には寛容にはなれなかったのでしょう。
自戒の念を込めて自分自身に対して書いたという面もあるのでしょうが、何度読み返
しても、あそこまで残酷に書かなくてもよいのにとの感を強く致します。
石川淳が言っていることはほとんど真実です。偏奇館を焼かれ「家も蔵書もない身」
となった荷風は、それまでの「孤高の大荷風」から一転して生活臭がぷんぷんするみ
すぼらしい老人に徐々に堕落していきます。石川淳が言っている「随筆家に欠くべか
らざる二つの基本的条件(蔵書と恒産)」を荷風は空襲で二つとも失い、と同時に、
荷風は物理的に歳をと?ていったのです。一貫性を欠いたのではなく衰えたのです。
「日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁がきれたところの、一箇の怠惰な
老人の末路のごときには、わたしは一灯をささげるゆかりも無い」と石川淳は「敗荷
落日」を結びますが、本当の気持ちだろうけれど、あそこまで書かなくともと凡人で
ある愚生は思います。石川淳は自分にも他人にもとても厳しい人だったんでしょうね
(実際本人は死ぬまで精力的に活動を続けたのだから)。荷風にも最後まで稀代の作
家、随筆家であることを求めました。
しかし、最近、曾野綾子の『いい人やめれば楽になる』というエッセイや、流行りの
『老人力』などを読んで、愚生は感じるところがありました。人間誰もが歳をとるの
です。それを拒絶して石川淳のように「生涯現役のスーパースター」と頑張ることは、
一般的には格好がよいといわれていますが、却って不自然で格好が悪いのではないか
と感じるようになりました。やっぱり自然の理に反します。人間誰もが歳をとると程
度の差こそあれ惚けるし、それを受け入れることが本人にとっても(他人にとっても)
大切ではないでしょうか。(もちろん作家が書かなくなれば死んだのも同然です。で
も荷風はほとんど死ぬまで書き続けています。晩年のものは良い作品とは言えません
が、衰えたなりに文人であることをやめてはいません。立派です)
川本三郎が『荷風と東京』を「一般に晩年の荷風は不遇だったとか、作家としての生
活は終えていたと否定的に見る人は多い。・・・・しかし・・・荷風は、人が思って
いる以上に幸福だったのではないだろうか」と温かい言葉で結んでいますが、愚生も
そのように思います。作家としての荷風は興味深いですが、人間としての荷風はもっ
と興味深く、愚生は人間としての荷風が(傑作が書けなくなった後の荷風も含めて)
大好きなのです。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 神保町が空襲を受けな かった理由(Was Re: 荷風の散歩道( 連想が連想を呼び))
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 神保町が空襲を受けな かった理由(Was Re: 荷風の散歩道( 連想が連想を呼び))
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Tue, 27 Nov 2001 17:39:09 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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o2 at o-2@lily.freemail.ne.jp wrote on 2001.11.27 4:52 PM:> 余丁町散人
> news:
>
>> 当時のアメリカのインテリ日本専門家の影響力は結構大きく、神保町が空襲を受けな
>> かったのも「神保町の古本屋街は世界の宝だ」とするジャポノロジストの進言による
>> ものだったということです。
>
> これに関してですが、『漱石先生ぞなもし』『続・漱石先生ぞなもし』のどちらかに、
> 神保町を空襲させなかったのは、漱石門下生のロシア人のアレクサンドル(名前はうろ
> 覚え)が努力したからで、その事を、飲みの席で友人に話したら、「漱石が神保町の岩
> 波を救った話なら誰だって知っている」とか言われた、というのを読んだような気が・
> ・・
うん、そうそう。愚生の情報源もあの半藤一利の本からです。半藤一利の友人は「岩
波が漱石全集で儲けたことが神保町の発展につながった。そんな話なら誰でも知って
いる」と勘違いしたのですね。面白かった。
愚生はあの『漱石先生ぞなもし』で半藤一利翁の「ついうっかり」部分を最近発見し
ました。『猫』で迷亭の「首くくり松」のホラ話にある「土手三番町の首くくり松」
は半藤一利は「最早それらしい松は一本も存在しない。廃棄ガスのせいだ」と書かれ
ていますが、存在するのです。半藤翁は土手三番町の位置をお間違えになって飯田橋
から市谷駅までしか土手をお歩きにならなかった。土手三番町はいまは「五番町」と
なっているので市谷駅と四谷駅の間です。あそこの土手には松が数百本生えており、
首くくりにむいた格好のよい松も残っています。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 荷風の散歩道(連想が連想を呼び)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 荷風の散歩道(連想が連想を呼び)
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Wed, 28 Nov 2001 05:59:44 +0900
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ようこそ!naoyukiさん!
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訂正です。余丁町散人 at naoyuki_hashimoto@mac.com wrote on 2001.11.27 11:27 AM:
> ところで荷風が最後に食事をした浅草のお店は昭和34年3月1日のアリゾナとされ
> ていましたが、最近異論が出ていることをご存じですか? 新藤兼人の飯田屋本店説
> です。不思議なことに『日乗』には飯田屋の名前が出てこないのですが、荷風はあそ
> こで「かしわ南蛮」をよく食べ「なくなる数週間前」にあそこのトイレで尻餅をつい
> たそうです。両方とも行かれたらどうですか。両店ともに荷風の写真が飾ってありま
> す。どっちが最後だったのか、今となっては永遠の謎です。
「飯田屋」と書きましたが「尾張屋」の間違いです。どぜうの「飯田屋」にも荷風は
よく行っていましたが、新藤兼人が言っている最後に行ったかもしれない店というの
は蕎麦屋の「尾張屋」(本店)です。雷門近くの尾張屋の支店の方が目立ちますが、
尻餅事件は田原町よりのより小さな本店の方で起きました。(でもあそこのかしわ南
蛮は上品な盛りで、アリゾナでいつもチキンレバーのシチューとカレーライスにビー
ルを飲んでいたという大食いの荷風さんは、果たしてあれで満腹したのかなあと思う。
おやつがわりに食べていたのかも知れない)ともあれ訂正します。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Wed, 28 Nov 2001 06:05:01 +0900
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ようこそ!naoyukiさん!
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HISADOME, Kenji at hisadome@lares.dti.ne.jp wrote on 2001.11.27 11:51 PM:
>>> 川本三郎の本は、映画の本も含めて大好きでたいてい持っていますが、あの人は『荷
>>> 風と東京』を書いた人として長く記憶されるのではなないでしょうか。
>
> 川本三郎は、私にとっては「テメエの夢はテメエで見ろ、おカミの世話
> になんかなるな」という、世にも珍妙な「スター・ウォーズ」評(?)
> を書いた人物として記憶に残っています。
へえー、まさに世にも奇妙な批評ですね(笑)。スターウォーズのどこが気に入らな
かったんでしょう。「おカミのお世話になるな」というのもどういう意味なんでしょ
うね。川本三郎は「むかし映画」がお好きだからかな?
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Thu, 29 Nov 2001 07:48:27 +0900
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ようこそ!naoyukiさん!
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Tsutomu Hoshino at thoshino@mail1.accsnet.ne.jp wrote on 2001.11.28 11:07
PM:
> 時間がなく、気楽に読めて、スケッチ・地図などもあるのがいい方々には、
> 松本哉「荷風の東京空間」(河出書房、1992年)の方がお勧めでしょうか。
松本哉も楽しいですね。あの人は絵も巧い。『荷風の東京空間』(「東京空間」とい
う割には意外と明石や岡山のことも詳しく書いてある)に加えて、『荷風のひとり暮
らし』『荷風極楽』も面白いですよ。
> http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/bungaku/kahuu2.html
> によれば、選考委員の久保田万太郎の推挙があった、とあります。
このホームページはじめてみました。いい写真がたくさんありますね。有り難うござ
います。一番最後に尾張屋おかみ(田中登美子さん)の問題の証言がでてます。
「・・出てこられた先生に「お二階でお休みになって下さい」と声をかけると、「う
ん、大丈夫。ありがとう」と言って、外に出られました。 私はすぐ後を追ってタク
シーを呼び止め先生をお送りしました。これが先生との最初で最後の会話でした。そ
れから1週間後に先生はお亡くなりになりました。」
荷風が死んだのは昭和34年4月29日です。従来は荷風が最後に浅草で食事をした
のは3月1日(アリゾナ)と考えられていました(秋庭太郎の定説)。しかしこの尾
張屋おかみの証言が本当であれば、荷風は尾張屋に4月の中頃に行っていたことにな
り、それが最後と言うことになります(新藤兼人が発見し、松本哉が裏付け調査をし
た新説)。侃々諤々の大論争(?)。荷風ファンにはこんなどうでもよいような細か
いことにこだわるマニアックな人が多いのです。
久保田万太郎は文化勲章の推挙をしたり、荷風のお葬式を仕切ったりして目立ちすぎ
たので、佐藤春夫は相当気を悪くしたようです。佐藤春夫は『小説永井荷風』で嫌み
をさんざん書いている「k」という人は久保田万太郎のことです。ああいうのは嫌で
すね。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 川本三郎 (Re: 連想が連想を呼び)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 川本三郎 (Re: 連想が連想を呼び)
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Thu, 29 Nov 2001 07:57:45 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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HISADOME, Kenji at hisadome@lares.dti.ne.jp wrote on 2001.11.28 7:31 AM:
>>>> 川本三郎は、私にとっては「テメエの夢はテメエで見ろ、おカミの世話
>>>> になんかなるな」という、世にも珍妙な「スター・ウォーズ」評(?)
>>>> を書いた人物として記憶に残っています。
>>>
>>> へえー、まさに世にも奇妙な批評ですね(笑)。スターウォーズのどこが気に入らな
>>> かったんでしょう。「おカミのお世話になるな」というのもどういう意味なんでしょ
>>> うね。川本三郎は「むかし映画」がお好きだからかな?
>
> 主人公たちが最後にお姫さまに勲章をもらったりするのが気にくわない
> らしいです。ああいった物を観ていると、「国家の側に飼い慣らされて
> しまう」んだそうだ。
あの最後のシーンですね。川本三郎としては「天下の自由児が、勲章と女につられて
体制に組み込まれてしまうとは、何がハッピーエンドだ!」といいたかったのかな。
「60年代」的感想ですね。分かるような気がするけど。やっぱり女は(生物的に保
守的で男を体制に組み入れる役割を果たすという意味で)怖い。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 連想が連想を呼び( ふらんす物語 )
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Thu, 29 Nov 2001 21:44:46 +0900
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ようこそ!naoyukiさん!
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hoshina at hoshina@seagreen.ocn.ne.jp wrote on 2001.11.28 11:16 AM:
>> 荷風にも最後まで稀代の作家、随筆家であることを求めました。
>
> 最後まで、稀代の作家でいられるかどうかは本人の意思ではどうにもなりません。病気
> や大きな事故に遭わないでいられるかどうかも分かりません。ですが、良いものを書け
> なくなったので筆を置くのは、本人の意思で可能ではないか。(石川淳流ならば「物書
> く者の覚悟」)「敗荷落日」をこのように読みました。昔の名前で出つづける荷風を許
> 容できなかったように思います。
確かにそうだけど、ぼろぼろになっても作家であることをやめない(書き続ける)と
いうのも(格好は悪いけど)人間的でいいと思うけどなあ。「引き際を良くする」な
んてのは、ちょっと「いい格好しい」みたいで、逆に気障だと思う。もっとも人に迷
惑をかけるのは良くないけど、会社なんかで「ぼろぼろになっても老害をまき散らす」
というのとは作家の場合は自ずと違うし、また衰えても荷風は荷風なんだし、名前を
変える必要ないんじゃないかしら・・・。
最後まで一生懸命頑張った石川淳は100年経ったら忘れられているかも知れないけ
ど、最後はいい加減だった荷風は100年経っても残る、これはほとんど愚生の確信
です。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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荷風と岡山(文学散歩)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) 荷風と岡山(文学散歩)
グループ(Newsgroups) fj.rec.gardens, fj.rec.travel.japan, fj.books
投稿日(Date) Sat, 01 Dec 2001 07:03:54 +0900
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ようこそ!naoyukiさん!
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2001.11.30 12:17 AM:
> きょうぐろ在住の地は、吉備津神社まで車で20分ぐらいのところ(中略)
> 私は岡山を訪ねてくる国内外の友人を案内するのに、標準観光コースを設定しています
> 。後楽園、倉敷、瀬戸大橋、備中国分寺(五重塔)、牛窓あたりを適当に組みますが、
もし永井荷風が好きだという変なご友人が訪ねてこられたら、荷風ゆかりの地を案内
されるのも一案かと。荷風は昭和20年に東京の家を空襲で失い、友人の作曲家菅原
明朗夫妻(奥さんが声楽家の永井智子。作家の永井路子のお母さん)と一緒に岡山に
疎開します。同じく岡山(勝山)に疎開していた谷崎潤一郎を訪ねたりしながらここ
で終戦を迎えました。荷風の日記(『断腸亭日乗』)からその軌跡をたどりますと次
のようになります:
昭和20年3月9日、「天気晴朗、夜半空襲あり、翌暁四時わが偏奇館焼亡す」
(注:偏奇館とは荷風が東京で一人住まいしていた洋館のことです)
6月2日、東京都内で転々とした後、菅原夫妻と関西に出発。まず明石に。
6月11日、3人で明石から岡山に移動、岡山ホテルに泊まった後、弓之町松月とい
う旅館に宿替え
6月17日、岡山神社、岡山城など市内観光。「風光頗佳なり」
6月18日、後楽園近辺を観光。「山の輪郭軟らかにして険しからず、京都の丘陵を
連想せしむ、渓流また往時の鴨川に似てすこぶる大なり」
6月28日、岡山空襲。「この夜二時頃岡山の町襲撃せられ火一時に四方より起これ
り。警報のサイレンさへ鳴りひびかず市民は睡眠中突然爆音をきいて逃げ出せしなり。
余は旭川の堤を走り鉄橋に近き河原の砂上に伏して九死に一生を得たり」
7月3日、巖井三門町1ノ1826武南功氏方に間借り
7月9日、「寓居の後丘に登る。一古刹あり。山門古雅・・・額を仰ぐに妙林寺とあ
り。・・社殿の前の平地に立てば岡山市の西端に延長する水田及び丘阜を望む」。こ
の妙林寺は気に入ったようで、その後も訪れて寺からの眺望をスケッチをしています。
7月13日、「S氏夫婦とともに寓居を出て二里半ばかりの道を歩み、広瀬駅停車場
付近なる福田村の山上に果樹を栽培せる平松氏を訪ふ」。平松氏とは空襲を受けるま
で泊まっていた旅館松月の持ち主。空襲で避難したまま未払いだった宿賃の支払いの
ために荷風はわざわざ訪れます。明治男の律儀さですね。
「平松氏の家族は老弱二夫婦なるが如し。果実のみならずダリアのごとき花もつくる。
其の大なるもの牡丹の如し」。平松氏の家から望む眺望を見て「成嶋柳北が明治二年
にものせし航薇日記中の風景を想起し却て一段旅愁の切なるを覚えたり」
8月13日、勝山に『細雪』を執筆中の谷崎潤一郎を訪ねる。「夕食を喫す、白米・・
膳に豆腐汁、町の川にて取りしという小魚三尾、胡瓜もみあり、目下容易には口にし
がたき珍味なり」
8月15日、勝山から岡山に帰る。車中で「谷崎君夫人の贈られし弁当を食す、白米
のむすびに昆布佃煮及牛肉を添えたり、欣喜措く能わず・・・・・・午後二時岡山駅
に安着す、・・・今日正午ラヂオの放送、日米戦争突然停止せし由を公表したりとい
う、恰も良し、日暮染物屋の婆、鶏肉葡萄酒を持ち来る、休戦の祝宴を張り皆々酔う
て寝に就きぬ」
通常、食べ物にはあまり頓着しなかった荷風ですが、この岡山での食事の描写は印象
的なものとなっています。「欣喜措く能わず」なんか言って・・・。余程お腹がすい
ていたんでしょうね。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 荷風と岡山(文学散歩)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 荷風と岡山(文学散歩)
グループ(Newsgroups) fj.rec.gardens, fj.rec.travel.japan, fj.books
投稿日(Date) Sat, 01 Dec 2001 11:14:54 +0900
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ようこそ!naoyukiさん!
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2001.12.1 10:09 AM:
> news:B82E315A.A1FC%naoyuki_hashimoto@mac.com...
>> 7月13日、「S氏夫婦とともに寓居を出て二里半ばかりの道を歩み、広瀬駅停車場
>> 付近なる福田村の山上に果樹を栽培せる平松氏を訪ふ」。平松氏とは空襲を受けるま
>> で泊まっていた旅館松月の持ち主。空襲で避難したまま未払いだった宿賃の支払いの
>> ために荷風はわざわざ訪れます。明治男の律儀さですね。
>>
>> 「平松氏の家族は老弱二夫婦なるが如し。果実のみならずダリアのごとき花もつくる
>> 。其の大なるもの牡丹の如し」。平松氏の家から望む眺望を見て「成嶋柳北が明治二
>> 年にものせし航薇日記中の風景を想起し却て一段旅愁の切なるを覚えたり」
>>
> 広瀬駅ではなく、山陽本線の庭瀬駅(岡山の次)ではないでしょうか。
> 福田村というのは私の生まれた村で今は岡山市と合併。両親宅も
> 山の方で、近所に平松さんは数件あります。どこのおうちのことか
> きょうにでも父に聞いてみます。とりいそき。「
広瀬駅」ではなくって「庭瀬駅」でした。最近眼が薄くなって良く読
み間違いをします。
日乗をもうちょっと引用しますと:
「この日雨後の空晴れ渡りて風秋の如く冷ややかなるに乗じ、途上の風景を見がてら
に尋ね行くことになせしなり。西の方倉敷に至る一条の道帯の如く広漠なる水田の間
を走る。田植すでに終わり、稲苗青くして芝生の如く、蛙声盛んに起こり、紅き蟷螂
の片々として翻るを見る。農家の庭に木槿また桔梗の花の開けるさま既に秋分の時節
となれるが如し。薇陽の風物東都に異なること亦甚だしきをしる。河流、堰、堤防、
石橋等の眺望一つとして画趣を帯びざるはなし。河は笹ヶ瀬川といい、橋は白石橋と
云う。倉づくりなる農家の立ちつづくあひだに清流益益(?)たる溝渠の迂曲して通
ずるあり。樹陰の桟橋に村の女の食器を洗うあり。窓の下に繋げる田舟に児童の小魚
を捕らふるあり。これ等田園の好画図は余のこの地に来たって初めて目にするところ
なれば徒歩の疲れを知らず。・・・二時間ほどにして・・・福田村に至る。ここより
羊腸たる石径を登ること三四丁。平松氏の家に達す。」とあります。大絶賛ですね。
戦時に、このような平和なのどかな風景を見て荷風は本当に感動したのでしょうね。
荷風はそのあと平松さんにこんな句を詠んで送っています。
果樹園の主人平松氏に贈る
桃つくる翁めでたき齢かな 荷風
其子に送る手紙のはしに 旅に出て聞く鳥や皆閑古鳥
々この手紙がいまでも残っているとちょっとしたものです。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 荷風と岡山(文学散歩)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 荷風と岡山(文学散歩)
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投稿日(Date) Sat, 01 Dec 2001 17:58:22 +0900
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2001.12.1 3:32 PM
:> 平松氏のことを父に聞いたらよく知っていました。どうやら子がなく、奥さんも10年
> ほど前になくなりいまは廃墟と化していました。・・・
>
> その場所は家のごく近所で毎週のように散歩しているコースにあるのですが、竹林がせ
> まり、また屋敷に植えてあった木々が茂るにまかせ、今や家を呑み込む寸前。
>
> 屋敷跡の樹木というのが、ヒマラヤシーダ(枯木)、芭蕉、イチョウ、アオギリのよう
> な木で一見して、周囲の伝統的な田舎屋に植えられている庭木と違います。ようするに
> 東京の下落合とか鷺宮あたりに残存している大正、昭和のわびしい洋館のようなもんで
> す。
なんか怖いような、お化け屋敷のような、ぞくぞくしますね。散人の好みです。余丁
町の古びた陋屋も、草ぼうぼうで枝は伸びるに任せ、おまけにツタまで絡んで、小さ
いながらも、その住人とともにだんだんそのようになりつつあるのです。
> ドナルドキーンによれば、旅枕というか歌枕というか文人ゆかりの地に歌碑なんかを建
> てて、また人がそこを訪れて、過ぎし日のことを思いめぐらしてそっと涙するというの
> は昔からの日本人特有の風流で西洋人はそんなことはしない、と書いてます。
>
ドナルド・キーンが云うのだから根拠はあるのでしょうが、でもホントかなあ。パリ
のバルザックの家なんて観光名所だし、シャーロック・ホームズのベーカー街にもみ
んな行きますよねえ。
「ドナルド・キーン、見てきたようなウソをいい」(笑)
もっとも歌枕の旅は日本独特かも知れないですね。
> ところで、田舎のインテリの子弟が上京して、なんらかの文化的な職業に就き、50代
> ぐらいで挫折して帰郷。そして土地を開墾し、果樹園を開き、西洋風の家を建て、(田
> 舎の人をばかにしつつ)たまに都会からくる文化人をもてなす。平松氏は典型的なこう
> いうディレッタントだったのではないかと思います。そして廃墟をみながらぞっとしま
> した。これは私自身のことではないかと。
うらやましいな。「帰りなん、いざ」と帰るところがあって。杜子春も最後は「桃の
花が咲いている田舎」に行きましたね。あれは芥川龍之介の願望だったと思います。
でも東京生まれの彼は帰るところがなかったから・・・。
>
> 果樹園というのは一見自然の中でのエコロジカルな場所という印象を与えますが、実は
> 究極の人工的な空間なんです。木の枝はどれひとつとして自由に生育さすということは
> なく、切る、曲げる、誘導する、トレーニングする、ありとあらゆる農薬を絶えず散布
> していっさいの昆虫や害虫を近づけさせない。だからひとたび果樹園が放棄されると1
> ヶ月後にははやくも手のつけようもないカオスに逆戻りします。
>
> いっぽう、荷風の芸術は死ななかったし、平松邸周辺のようするに地下(じげ)の民も
> ますます家運隆盛を誇っているというのに田舎文化人(と、きょうぐろが想像する)を
> 自負した平松氏の廃墟は悲しさ(sorrow)に満ちています。
>
> 果樹園なんか自分で作ったってたかがしれているということを平松邸の廃墟が私に話し
> かけてくるような気がします。ほどほどにしないといけないなと思いました。
親戚で果樹園をやっていた人がいましたがが、歳をとったといって最近やめてしまい
ました。でも「カオスの果樹園」もそれなりに風情があると思いますよ。商業的に成
功させようなぞと思わず、荒れ放題の庭だと思って「アッシャー家」の風情を楽しむ
のなんか、いいなあ。真面目に。
川本三郎の『大正幻影』というのはお読みになりました? 「大正文士」という人た
ちはそういうのに憧れたんだって。現代は大正時代に似ていないこともない、と最近
思うようになりました。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 荷風と岡山と川本三郎
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 荷風と岡山と川本三郎
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投稿日(Date) Sun, 02 Dec 2001 13:18:14 +0900
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2001.12.1 10:00 PM:
>>> 平松氏のことを父に聞いたらよく知っていました。どうやら子がなく、奥さんも10
>>> 年ほど前になくなりいまは廃墟と化していました。・・・
>>>
> 子はないというのは間違いで、正確にいうと孫はないでした。つまり10ほど前になく
> なったのは、かの平松ぶふう(武風、あるいは撫風か)の子の妻ということらしい。
>
> 母に一連の話しをしたら、かなり時間がたってからいろいろ思い出してくれました。ぶ
> ふう氏は私の母をときおり訪ねてお茶をのんでいったみたい。でも川端康成に習作を送
> りつけていたような母が平松氏と本当に話していたのなら、東京生まれの母と荷風につ
> いて話さないはずもなく、少々ぼけた母にいくら聞いても荷風が来た話しは知らないと
> いいます。父の記憶では当時としては極めて珍しくジーパンをはいていたそうです。
平松さんのことを調べようと秋庭太郎の『考証永井荷風』を見てみました。それによ
れば、荷風と菅原夫妻が岡山ではじめのうち泊まっていた旅館松月とは、菅原夫人
(永井智子)の友人の池田優子の紹介で泊まれたもので、そこの主人は「静かで親切
な未亡人」だったとのこと。岡山空襲で旅館松月が焼けその女主人は兄の平松氏のと
ころに避難し、荷風達はその未亡人を訪ね未払い宿賃を払ったそうです。
平松氏の果樹園は福田村妹尾崎の山上で「晴耕園」と称しており、園主の平松氏(お
爺さん)は荷風に「旧式の遠眼鏡を出して岡山の市街並びに連山の彼方の小豆島を眺
望せしめた」とあります。荷風日記では晴耕園には老若二夫婦が暮らしていたとあり
ますので、平松ぶふうさんというのはその若夫婦のご主人だったのではないでしょう
か。(大阪の甥子さんというのは松月女主人の未亡人の子供かしら)
旅館が焼けてからは荷風達は巖井三門町の武南立太郎方に寄寓するのですが、そこの
主人の武南氏も(菅原夫婦の関係なので一緒にいた同行者が)永井荷風だとは最初の
間は知らずにいたとのことで、平松氏も突然訪ねてきた人間が荷風とは知らなかった
のでしょう。当時の人たちはみんな親切だったのです。
>> もっとも歌枕の旅は日本独特かも知れないですね。
>>
> ヴィクトル・ユーゴーの詩に、Sur la dune(砂丘にて)というのがあり、ぜひともそ
> の砂丘の上に立ちたくて、サン・マロから船でジャージー島に渡ったことがあります。
モーパッサンの「ジュール叔父さん」の舞台ですね。ジャージー島に行って帰りの船
で蛎売りに落ちぶれた叔父さんに出会う。(ブリターニュは海賊の拠点であっただけ
あってあそこのセーリングは実に豪快です)
>> 「アッシャー家」の風情を楽しむのなんか、いいなあ。真面目に。
>>
> ヨーロッパ人が新築の庭園に新品の古代ローマ風廃墟を設置するようなものですね。
Yasuhiro Endo at yasuhiroendo@jcom.home.ne.jp wrote on 2001.12.1 10:19 PM:
>> 川本三郎の『大正幻影』というのはお読みになりました?
> この人の温泉紀行の類は好きです。大正時代に限らず連綿と歴史は現存しており、その
> 代表が遠州その他の庭園様式にあるのだなと思います(あっ。やっとガーデニングに帰
> ってまいりました。)
川本三郎(『大正幻影』)によると「廃墟への愛着」(廃墟趣味)ですね。18世紀
のヨーロッパで庭園のなかにあえて人工的な廃墟を配する造園が流行したとの説を紹
介し「進歩が絶対の価値とする時代にむしろそれと逆行する廃墟に親しみを覚える感
性が生まれはじめた」と、さらにそれが日本では大正時代に入ってきたとしています。
日本文学の場合、廃屋を特色づけるのは「植物の繁茂」であるとのこと。
「新しい感性」と思えば「草ぼうぼう」もまた楽しいですね。
川本三郎には明らかに「廃墟趣味」があって、『日本すみずみ紀行』の冒頭に岡山は
牛窓への旅行を書いています。「町全体が、骨董屋の奥にひっそりと置いてある古い
家具のようだ。路地裏に明治時代に立てられた煉瓦づくりの二階建ての洋館が残って
いたが、これも廃屋になっていた」とメバルの煮付けなんか食べながら大満足の様子。
ちなみに牛窓の本蓮寺の庭は小堀遠州の作とのことです(やっと遠藤さんの遠州にた
どり着いた)。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 荷風と岡山と川本三郎+牛窓
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 荷風と岡山と川本三郎+牛窓
グループ(Newsgroups) fj.rec.gardens, fj.rec.travel.japan, fj.books
投稿日(Date) Mon, 03 Dec 2001 07:37:32 +0900
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ようこそ!naoyukiさん!
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2001.12.2 5:47 PM:
> きょうも母を伴って「晴耕園」をみてきました。
> 写真も何枚かデジカメに収めました。あっ、見たいなあ。
> 牛窓には、早大時代のクラスメートの女の子が開いた
> 「life and art 青空」 という画廊+喫茶があってけっこう繁盛しています。
> ある種のサロンになっていますが、その店は築100年はゆうに
> 超えている土間づくりの家です。
> http://members.tripod.co.jp/laaozora/
> イラストのオッサン風に見える人がここの女あるじ。
> じっさいは岩手美人です。
牛窓とは万葉時代からの古い町と聞きましたが、マリーナがあったりなんかして結構
おしゃれな町のようですね。「オッサン風の美人」のイラストも拝見いたしました。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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竹中労『芸能人別帳』
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) 竹中労『芸能人別帳』
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投稿日(Date) Mon, 03 Dec 2001 11:36:28 +0900
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ようこそ!naoyukiさん!
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面白い本を買いました。竹中労『芸能人別帳』(ちくま文庫)。
1970年に実業之日本社から出た『スター36人斬り』をもとに再編集されて今年
6月に筑摩書房から文庫本で刊行されたもの。著者の竹中労も死んでいるし、ここで
「斬りまくられた」スターも今は亡き人が多いけど、内容とスタイルが文句なしに面
白いのです。やっぱり暴露記事っていうものはこう書かなくっちゃいかんですね。言
いたい放題だけど、真実を付いている(と今になってわかること)が多いです。
たとえば、
「必死に労働して、生きている無名無告の人の怒り、悲しみ、居直りってやつを、グッ
と突きつけてくるリキが、近ごろ薄められとる。・・・ダメだねエ、渥美清って役者
は断固として粘っこく、ギラギラ贓物の脂が浮いた煮コミの演技を貫徹しなくちゃい
けない」(「渥美清を叱る!」1970年)
「人間本来無一文、勝新太郎の無頼な履歴をたどると、良くもまあ、こんな男が天下
のスターなんぞに!とあきれかえってしまう。役者にならなければ、きっと刑務所に
入っていたにちがいない。人間、けっして糞マジメに暮らすべきではないということ
を、彼の「人生」は教えてくれるのである」(「カツシン逆手斬り」1970年)
「ご本人には、どうやらそれがわかっていないらしい。ヤクザ映画をイミ嫌って「都
会的なシリアスな作品に主演したい」なぞという発言、まったくもってナッチョラン」
(「高倉健よ大志を抱け」1970年)
「おりゃ、佐藤慶の”フ”と笑うところが好きだ。そいつは、フフじゃない。もちろ
ん、フフフでもない。”フ”ときたら、それっきりである。あたしゃ笑ってますって、
笑いかただな、あれは」(「虚無人間・佐藤慶」1967年
)なんだか小沢昭一の文体に似ていませんか? もちろん小沢昭一についても書いてい
ます。「あたしゃ、この人が好きなんだ。ホモダチといってよいほど惚れ込んでいる
のだ」(「助平・小沢昭一」1970年)だって。自ずと両者の文体が接近してきた
んですね。こういう調子で延々と続きます。三国連太郎、水谷八重子、森光子、有馬
稲子、加賀まりこ、吉永小百合、加山雄三などなど。トッテモオモシロイ。
いまとなっては「歴史的」書物ですね。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 竹中労『芸能人別帳』
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 竹中労『芸能人別帳』
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投稿日(Date) Tue, 04 Dec 2001 07:34:59 +0900
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2001.12.3 11:37 PM
:> 私、小沢昭一が好きになったのはオイルショックのとき。
>
> トイレットペーパーがなくなり、ガソリンスタンドは日曜日に休業したり、もう官民あ
> げて節約の大合唱。電気を使うな、ドライブでガソリンを使うな、、、、そのとき、小
> 沢昭一がこう言ったのです。
>
> 「トイレットペーパーがないのなら、ケント紙で尻をふいてやる」
ははは、散人なら「ケント紙」なんてお上品な言い方ではなく「新聞紙でケツ
を拭けっ!」ですね。
むかしはあれをクシャクシャに揉んで使っていたなあ。「戦後は遠くになりにけり」ですな。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 竹中労『芸能人別帳』
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 竹中労『芸能人別帳』
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投稿日(Date) Tue, 04 Dec 2001 14:20:40 +0900
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<01elmbhej5.fsf_-_@lab.ntt.co.jp>
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Nakayama Ryu~ji at nakayama.ryuji@lab.ntt.co.jp wrote on 2001.12.4 12:04 PM:
>>> 私、小沢昭一が好きになったのはオイルショックのとき。
>>>
>>> トイレットペーパーがなくなり、ガソリンスタンドは日曜日に休業したり、もう官民
>>> あげて節約の大合唱。電気を使うな、ドライブでガソリンを使うな、、、、そのとき
>>> 、小沢昭一がこう言ったのです。
>>>
>>> 「トイレットペーパーがないのなら、ケント紙で尻をふいてやる」
>>
>> ははは、散人なら「ケント紙」なんてお上品な言い方ではなく「新聞紙でケツ
>> を拭けっ!」ですね。むかしはあれをクシャクシャに揉んで使っていたなあ。
>
> これって、マリー・アントワネットの「パンがないのなら、ケーキを食べれば
> いいのに」をもじったものなんじゃないかと思います。
>
> ケント紙は上質な紙を代表するものとしてあげているだけですよね。
>
> なので、新聞紙では貧相すぎて面白くないです。:-)
あっ、そうか。「千円札でケツを拭く」のたぐいですね。
昔のギリシャでは棒の先に海綿を付けてその用に足していたのですが、ある大
金持ちは海綿の代わりにニンニクを付けていると自慢したらしいです(古代ギ
リシャでは海綿は安く、ニンニクは高級品だった)。
下がかった話になると散人は止まらないので、こんへんで失礼。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 竹中労『芸能人別帳』
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 竹中労『芸能人別帳』
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投稿日(Date) Tue, 04 Dec 2001 16:02:19 +0900
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<01elmbhej5.fsf_-_@lab.ntt.co.jp>
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2001.12.4 3:36 PM:
> ちなみに当時電気使用制限令に近いものが出ていた
> とき、マスコミも政府の尻馬にのっていました。
> 映画館まで上映回数を減らすという今では信じがたいことが
> まかり通っていたのです。
散人はあの時代は外地にいたので、日本の雰囲気は新聞で読むだけでしたが、
パニックぶりは恥ずかしかったなあ。取られたものは取り返せばよいだけだっ
たのにね。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 竹中労『芸能人別帳』
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 竹中労『芸能人別帳』
グループ(Newsgroups) fj.books, fj.rec.movies
投稿日(Date) Wed, 05 Dec 2001 12:54:58 +0900
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沙門 at gomi@ca2.so-net.ne.jp wrote on 2001.12.4 6:22 AM:
> 私が好きなのは「小沢昭一的こころ」のラジオ番組
>
> そのなかで、常に??????
>
> 変態ではない! 真面目なスケベだ
>
> すきです、
このせりふ「真面目な助平」とは言い得ていますね。
「真面目な”スケベ”」とは取りも直さず「真面目な”男”」であり、すなわち
「真面目な”人間”」なのであります。
--
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ケルト人(Re: 竹中 労『芸能人別帳』)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) ケルト人(Re: 竹中 労『芸能人別帳』)
グループ(Newsgroups) fj.books, fj.rec.movies
投稿日(Date) Wed, 05 Dec 2001 17:13:42 +0900
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2001.12.4 7:45 PM:
> 20年ほど前、ふらーっとダブリンへ行きました。別にジョイスの
> ダブリナーズを追体験しようと思ったわけではないのですが、
> 不思議なとこでした。イギリスがいいかげん他の大陸ヨーロッパと
> 異質な空間を作っているのに、アイルランドまで行くと
> もうなんていうか悲しい!
アイルランドは行ったことがないです。でも人間はケルト人(?)だから雰囲
気はブリターニュと同じなのかな。結構異質ですよね。人間も黒髪に青い目の
人が多かったような。映画「ブレーブハート」では、スコットランドのケルト
人の反乱にアイルランドのケルト人(?)が助けに来ましたよね。あの映画は
実に面白かった。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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色川武大『引越貧乏』
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) 色川武大『引越貧乏』
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投稿日(Date) Wed, 05 Dec 2001 17:46:50 +0900
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今日の昼、「スタジオパーク」で黒鉄ヒロシのインタビューを見て、彼は色川
武大の同級生だったと知りました。一緒に「相撲ゲーム」(番付表を作って相
撲の展開を延々と何ヶ月にわたり創作していく遊び)をしたといっていたから、
小学校の時の同級生ですね(色川武大はそれを小学校の時にやったと書いてい
ます)。
そこでわけもなく急に色川武大を読みたくなって、『引越貧乏』(新潮文庫)
を取り出して読みました。「引越貧乏」をはじめ七つの短編を集めたものだけ
ど、彼の人柄がそのまま文章に出ていて、しみじみと良かったなあ。いい人だっ
たですね、色川武大は。最後、奥さんがどうしてもセカンドハウスが欲しいと
いうので、いやいやながらOKするんだけど、「破滅の味が次第にわかってきた。
どうせなら、遊び人らしく、野垂れ死にをしたい、というのがいまの私の夢である」
と「引越貧乏」は結ばれます。
やっぱり彼はその三ヶ月後に奥さんが強引に作らせた那須のセカンドハウスで死んで
しまうのよね。(平成元年4月10日)彼の生家は神楽坂の新潮社の裏にあります。
あそこだったらどの病院も近かい。東京に居てたら死なずに済んだのにね。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
PS)NHKの「スタジオパーク」(1300PMから)は面白いですよ。専
業主婦に見せておくのは勿体ないくらい。
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Re: 日和下駄
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 日和下駄
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Wed, 05 Dec 2001 18:17:27 +0900
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2001.12.5 1:41 AM:
> 一通り読み終えるのに時間がかかってしまいました。
>
> 味のある文が多すぎて、同じ箇所を何度も読み返して
> しまいました。
> 特に好きなのは「空地」です。
> 中に「私は雑草が好きだ」で始まる一章があります。
> この章の最後を抜き出します。
> ------------------------------------------
> 私は近頃数寄屋橋外に、虎の門金比羅の社前に、神田
> 聖堂の裏手に、其他諸処に新設される公園の樹木を見る
> よりも、通りがゝりの空地に雑草の花を見る方が遥に云ひ
> 知れぬ興味と情趣を覚えるのである。
> ------------------------------------------
> これこそ、「日和下駄」の主題だと思えました。
> 消えてゆく江戸に自分を見ている荷風が、苦悶する現在
> の日本と重なります。
> ところで、この作品は荷風が何歳のときに、どこで執筆さ
> れたのでしょうか?
良かったでしょう『日和下駄』は。
「閑地」といい「路地」といい、また「淫祠」といい、荷風は誰もが忘れてい
るような小さなうらびれたものが好きだったんです。『日和下駄』は三田文学
に連載されるのですが、最初の掲載は大正三年8月(荷風が満35才)の時で
す。書いた場所は大久保余丁町(いまの新宿区余丁町)のお父さんのお家。荷
風はその家の庭に小さい離れを造り「断腸亭」と名付け、そこで執筆をしまし
た。ちなみに愚生はその裏に住んでいます。
35才であんな老成した文章を書けるというのは、荷風はやっぱりすごいです
ね。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 日和下駄
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 日和下駄
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Wed, 05 Dec 2001 21:27:43 +0900
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2001.12.5 9:08 PM:
> 三十代の半ばであったとは意外。
> これからが働き盛りではないですか。
> そのくらいの年齢で、世をこのように見るとは……
>
> 三十五歳で日和下駄つっかけて日がな一日散歩、
> という暮らしぶりには感心しないぞ荷風くん! と
> 同年代時代の荷風にいってやりたい。
川本三郎が指摘していますが、荷風は自分を「老人」に見立てる趣味があった
のです。実際35才当時の荷風の写真を見ますと「実に美男子で格好いい青年」
です。それに若くして(さらに学歴もないのに)慶應義塾の文学部教授に抜擢
されたばかりであって、実生活では「きわめて精力的に勤勉に」活動していま
す。それなのに「老人」を気取る! 荷風はなかなか一筋縄ではいかないので
あります。(それを嫌みと取る人も多かったので、多くの敵を作りました)
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 雑草(Re: 日和下駄)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 雑草(Re: 日和下駄)
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Wed, 05 Dec 2001 23:00:54 +0900
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<9uiuo9$q02$1@news511.nifty.com>
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Yuuichi Naruoka at ynaru@jade.dti.ne.jp wrote on 2001.12.5 8:07 PM:
> 成岡@DTI静岡です。
>
> MUTO,Masa wrote in message <9uiuo9$q02$1@news511.nifty.com>...
>> 中に「私は雑草が好きだ」で始まる一章があります。
>
> この手の話を聞くたびに昭和天皇の言葉を思い出します。
> 「世の中に“雑草”という名前の植物はない」
> # これはもちろん“雑草”などと十把一からげにしては失礼だという意味です。
一応、荷風の名誉のために。彼が「雑草」を十把一からげにはしていないことは、MM
さんが引用された文章の同じ文節で荷風は次のように言っていることからも明らかで
あります(荷風は漢語で草の名前を書いていますが、変換が面倒なのでカタカナで書
きます):
quote
:閑地はすなわち雑草の花園である。「カヤツリグサ」の穂の練絹の如くに細く美しく
き、「ネコジャラシ」の穂の毛よりも柔らかき、さては「アカノマンマ」の花の暖か
そうに薄赤き、「オオバコ」の花の爽やかに蒼白き、「ハコベ」の花の砂よりも小さ
くして真白なる、一つ一つに見きたれば雑草にもなかなか捨てがたき可憐なる風情が
あるではないか。然しそれらの雑草は和歌にも詠われず、宋達光琳の絵にも描かれな
かった。
unquote
彼がこれを書いたのは大正三年ですので、昭和天皇が武蔵野の雑草を評価されるより
も年代的に早いのです。むしろ昭和天皇が荷風をお読みになっていたのかも知れませ
ぬのです。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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荷風と青春『すみだ川 』『あめりか物語』
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) 荷風と青春『すみだ川 』『あめりか物語』
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Fri, 07 Dec 2001 14:51:52 +0900
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<9uiuo9$q02$1@news511.nifty.com>
<9ul2nu$gqc$1@news511.nifty.com>
<9uo3pg$d63$1@news511.nifty.com>
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2001.12.7 12:44 AM:
> 荷風の作品の中に、青春の臭いを感じさせるもの
> はあるのでしょうか?
まず一応は『すみだ川』でしょうか。明治42年に書かれたやつ(明治36年
に、同じ題で芸者ものの短編を書いていますが、これとは別)。お母さんはき
ちんとした勤め人になるため学校に行けと言うけれど、役者になりたい少年は
それが嫌で嫌でいつも学校をサボって下町をうろうろする。憧れている幼なじ
みの少女は芸者になっていく。どうしようかといろいろ悩む。昔は遊び人だっ
た俳諧師の叔父さん(この叔父さんがいい味を出しています)が二人を添わし
てやろうと一肌脱ぐ。というような話で、青春ものと言えます。でもこの本の
おもしろさは、むしろ叙情あふれる風景描写にあって、本当の主役は「隅田川
そのもの」だともいえるかもしれません。最後の幕切れがあっけないとの印象
もありますが、あのへんが荷風らしい「枯れ味」でいい読後感。
しかし、荷風が自分の青春の悩みをテーマに真面目に書いたというのは、やは
り『あめりか物語』じゃないかと思います。アメリカは荷風にとっての最初の
外国(短期間上海で過ごしたことはありますが)でしたので、文章から荷風の
新鮮な驚きと感動がそのまま伝わってくるようで、紀行記というよりはむしろ
「青春もの」に近いのではと感じます。荷風が生涯で本当に「真面目な」恋を
したのはアメリカで会った女性とではなかったのかしら。彼はその後女性とは
ついに本気にはなれなかったようです。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: ケルト人(Re: 竹中 労『芸能人別帳』)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: ケルト人(Re: 竹中 労『芸能人別帳』)
グループ(Newsgroups) fj.books, fj.rec.movies
投稿日(Date) Sun, 09 Dec 2001 12:00:21 +0900
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MISHIMA Shin-ichiro at shin@affrc.go.jp wrote on 2001.12.8 9:11 PM:
> 日本も、アイヌ族(汎オホーツク文化圏だっけ?言語も文化も違う)、和人、琉球
> 王朝の連合体だと考えるとなかなか思うところあります。
梅原猛は縄文時代の風俗を調べるのに北海道・東北のアイヌ文化と沖縄文化を調べた
といいますね(本土には弥生人文化の影響が強すぎるといて)。宗教観に驚くほど
の共通性があったと言っています(昭和62年日仏会館での講演)。だから日本列島
は「深層部分」では(縄文人であるということで)一体なのかも知れません。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: ケルト人(Re: 竹中 労『芸能人別帳』)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: ケルト人(Re: 竹中 労『芸能人別帳』)
グループ(Newsgroups) fj.books, fj.rec.movies
投稿日(Date) Sun, 16 Dec 2001 11:57:15 +0900
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MISHIMA Shin-ichiro at shin@affrc.go.jp wrote on 2001.12.15 5:51 PM:
>> 梅原猛は縄文時代の風俗を調べるのに北海道・東北のアイヌ文化と沖縄文化を調べた
>> といいますね(本土には弥生人文化の影響が強すぎるといて)。宗教観に驚くほどの
>> 共通性があったと言っています(昭和62年日仏会館での講演)。だから日本列島は
>> 「深層部分」では(縄文人であるということで)一体なのかも知れません。
> 地理的に和人が入り込んだこと、アイヌ族の地理感覚が北海道を中心に東北地方やユー
> ラシア大陸のアムール川周辺(かなり内部までわかっている)で中国北部かロシアの東部
> であることを考えると、なんだか実感がわきません。 琉球王朝に関しては何ら調査を
> 行っていませんので、正しく比較できるものではありませんが・・・。
> 少なくとも民間信仰に関して、和人で言う神社があるか、ないか、と比較すると、アイ
> ヌ文化にはそれらしいものがないようですが、沖縄にはありますから随分違うのではな
> いかといった感じがします。
> #私感ですが
そのへんが歴史学者ではなく「哲学者」の梅原猛のおおざっぱなところですね。かれ
は日本の神道の源流は、明治の「平田神道」と律令時代の「中臣神道」で変化する前
の「本当の神道」は、もっとアニミズムの要素が強いもので、これはアイヌと沖縄に
残っている。さらにこれは石器時代は全世界に普遍的なものだったとします。沖縄の
「洗骨の儀式」とアイヌの「熊送り儀式」を取り上げて、両者に原始的な輪廻の思想
が共通しているとのこと。なんかこうなると歴史とか考古学以前の問題で、とてもロ
マンチックですね。
ちなみにこの講演(「日本人の宗教」)は新潮社からカセットテープで販売されてい
ます。1時間50分、梅原節が堪能できます。面白いですよ。個人的には本来普遍的
であったこのような自然と共存する縄文的な価値観を(現在のアメリカ的な功利主義
を補完するものとして)日本から世界に発信しても良いのではないかと感じています。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: すみだ川-岩波全集6-
---------------------
Re: すみだ川-岩波全集6-
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: すみだ川-岩波全集6-
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Mon, 17 Dec 2001 16:19:27 +0900
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2001.12.17 3:22 AM:> 荷風の「すみだ川」、読みました。
> 主人公は、まさに思春期といった青年。
> 大人への階段の踊り場、といった雰囲気。
> ただどうしても”冷めた目線”が出てしまうのは、荷風。
しっとりとした風景描写が良かったでしょう。俳諧師の叔父さんが渡し船で今戸の妹
を訪ねるくだり、また今戸橋で少年と少女が逢うあたりが特に好きです。少女が芸者
奉公をする葭町というのは、現在の蛎殻町あたりとのことです。あの辺の路地の描写
も良かったですね。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: ケルト人(Re: 竹中 労『芸能人別帳』)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: ケルト人(Re: 竹中 労『芸能人別帳』)
グループ(Newsgroups) fj.books, fj.rec.movies
投稿日(Date) Tue, 18 Dec 2001 07:18:20 +0900
ようこそ!naoyukiさん!
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MISHIMA Shin-ichiro at shin@affrc.go.jp wrote on 2001.12.17 4:50 PM:
> 私はアイヌ文化・生活様式というものが、実は人間と環境の関係の中で極めて合
> 理的な落とし所になっているのではないか?と生態学方面からアプローチしたら面
> 白いのではないか?と考えております。
そうですね。ああいう生活様式というのは、見直されてもいいんじゃないかな
あ。地球環境というのは、どうも人間が絶対神を信ずるようになってから壊さ
れ始めたように思う。小麦文明とか牧畜とかを大規模に始める前は、ユーラシ
アもアフリカも森で覆われていたといいますね。
> 表題のケルト人ですが、やはりアニミズムの要素の強そうなドルイド教ベースで 、
> その上にキリスト教を乗っけた、まるでMac OS XのClassic環境みたいな世界の
> ようで、やはり目を離せません。
Mac OS X は良く知りませんが、聞くところによるとその上で UNIX が動いたり
するのですか? 散人は縄文的 Mac 信者だから emulator もどきのものは断固
排除。というより付いて行けない。絶滅の危機ですね。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: あめりか物語―岩波全集4―
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: あめりか物語―岩波全集4―
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Tue, 01 Jan 2002 18:28:54 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2002.1.1 5:43 AM:
> いやあ、笑わせていただきました。
> 米国の人たちが、まるで東京育ちであるかのように書かれ
> ている。(中略)> まるで『金色夜叉』にでも出てきそうな場面です。
おっ! 読まれましたか。明治の作品だから、結構差別用語も出てきますし、おっしゃ
るようにまるで『金色夜叉』ですね。荷風はアメリカを題材にしながらも江戸風人情
ものを書いてるつもりだったんでしょうね。ゾラの影響も少し見えますね。何と言っ
ても言葉がまるで江戸弁なのが笑えます。漱石が "Pity is akin to love" を「可哀
想だったあ、惚れちゃったってことよ」と名訳したのを思い出されますね。
> 荷風の語学力は、どの程度のものであったのでしょう?
> この物語中に書かれている登場人物も、ほとんどが米国に
> いる日本人。
> まあ、当時の英語は今より相当クセがあったでしょうから、雑踏
> での聞き取りにも苦労したのでしょうね。
英語は大したことなかったと思います。正規に勉強していなかったし(英訳でしか出
ていないモーパッサンを読みたくて英語を勉強した程度)、米国で学校に行ってもフ
ランス語の科目しか履修しなかったようです。下宿もフランス人の家庭に入れて貰っ
たりしていました。読む本もほとんどがフランス語の本だったようです。
でも荷風は米国が最初の外国であるだけに、本質的なところでアメリカに相当影響さ
れたことは事実のようです。彼の経済観念、合理主義、個人主義などは渡仏前のアメ
リカ時代に染みついたものだと思うし、彼が女性と本気で恋して悩んだのは、アメリ
カでのことだと思います(フランスではそんな出会いはなかったし、日本に帰ってか
らの荷風の生活は、浮気のしっぱなしみたいなものだったし)。
ニューヨークでの女性との出会いなど、妙に現実感がありますね。
それに風景描写が素晴らしいでしょう。あれだけきっちり自然を描写する文学は当時
の日本にはなかったものだと思います。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 読書する能力
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 読書する能力
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Wed, 02 Jan 2002 19:36:04 +0900
記事ID(Message-ID)
ようこそ!naoyukiさん!
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きょうぐろ at kojiro-oka@k9.dion.ne.jp wrote on 2002.1.2 11:24 AM:
>
> 例えば読みにくい本を1時間連続して読むにはどういう
> テクニックがあるのか皆様のお知恵を貸してください。
まじめに考えて、「読みにくい本」というのは「興味がのらない本」もしくは「ひど
い悪文で書かれた本」だから余り無理して読むのは生産的でないのではないかしら。
読み出したら止められない「面白い本」を読めば良いんじゃないですか。
でも、なにが「面白い本」なのか、これが読んでみないと分からないところが、悩ま
しいところですね。 書評も所詮は評者の好みだし・・。結局、自分の興味がある分
野で、何十年もの時間のスクリーニングを経ている「古典」を読むのが、一番当たり
外れが無く、時間を損しない方法なのかなあ。端的に言えば昔からの文庫本シリーズ
は当たり外れが少ない。
科学技術は進歩しましたが、文系の文明、人間の頭の中というものは、ギリシャ・ロー
マいやメソポタミアの時代から、そんなに進歩していないから、面白いかどうか良く
分からない新しいものを無理して読むこともないような気がします。少なくとも散人
はそう感じています。
あっ、それから「詰まらない」と感じたら、そこでその本は放り出して次を読まない
のが良いです。続きも引き続き「詰まらない」可能性がすこぶる高いから。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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